子どもの頃からオモチャやプラモデルが好きだったという大畑さん。
ジオラマ撮影で使用する小道具類も、できるだけ自分で作るようにしている
©大畑俊男
vol.7
第4回「日本写真絵本大賞」毎日小学生新聞賞受賞者

大畑俊男さん インタビュー

ジオラマ写真家の大畑俊男さんは、
人形作家・まつもと俊介さんとの共作『モグーは郵便パイロット』で
第4回「日本写真絵本大賞」毎日小学生新聞賞に輝いた。
大手出版社の写真部に約30年勤務後フリーランスに転身。
さらに精力的な活動を続けてきたジオラマ写真の第一人者に、
カメラマン人生の過去・現在・未来を聞いてみた。
大畑俊男おおはた・としお
1954年埼玉県生まれ。東京写真大学短期大学部(現・東京工芸大学)写真応用学科卒業。講談社写真部アシスタントを経て、同部契約カメラマンとなり、雑誌・書籍の人物、静物、ルポルタージュなどの撮影に携わる。1998年「講談社写真部8人展」にジオラマ写真を出展。2000年10月、ドイフォトプラザ渋谷にて初の個展「ジオラマワールド」を開催。2001年に「雑司が谷スタジオ」を設立後、2006年に講談社を退社し、フリーランスのジオラマカメラマンとして活動開始。『どこ?』シリーズ(講談社)、『キンダーブック』(フレーベル館)などの幼児雑誌や保育絵本を中心に、小学校教科書(東京書籍)の表紙なども手がけている。

写真大学を卒業後、
撮影助手として出版社に就職

――いつから本格的に
写真を撮るようになりましたか?

大畑:写真好きだった父が、シャッターボタンを押すだけで簡単に撮れる「フジペット」というカメラを小学生の頃に買ってくれました。それを遠足に持って行ったり、飼っていた犬を撮ったりしていました。

 本格的に撮り始めたのは高校で写真部に入部してからで、そのときはペンタックスの一眼レフを買ってもらいましたね。薬品を調合して自分で現像する方法も覚えたし、毎月1回例会があって、それぞれに撮影した写真を発表したり。当時の仲間は私以外にも2人プロのカメラマンになっています。

 大学は母が勧めてくれた東京写真大学短期大学部(現・東京工芸大学)へ入学。ところが、入ってみたら撮影の技術よりも写真関連メーカーなどの産業分野で活躍する人材を育成するための授業が多くて。いつも白衣を着て、フィルムの濃度の数値を計測したりしていました。

――就職はどう決めましたか?

大畑:大学の教授に「講談社で撮影助手を募集しているから行かないか?」と言われて、入らせていただきました。写真部のカメラマンは40人くらいいて、各分野の専門家ばかりだから、みんな多士済々というか自信満々で。「すごいところに来ちゃったな」と思いました。雇用期間が最長で3年で、その後は写真部の契約カメラマンになるか、フリーになるかの二択。自分はまだまだ他でやっていけるだけの力はついていないと思ったので、契約カメラマンとして講談社に残ることにしました。

都内に構える個人スタジオは時間にとらわれず撮影に没頭できる最高の環境

あらゆる分野の撮影を経験
漫画家の赤塚不二夫にも会えた

――カメラマンに昇格後は、
どんな撮影を担当されましたか?

大畑:社内には多種多様な媒体がある。スポーツ、ファッション、アイドル、料理など、あらゆる撮影を経験させてもらって面白かったです。
中でも印象的だったのは、科学雑誌『Quark』で「傑出人脳」を撮ったときでした。歴代の首相や学者など、特に優秀な人たちの脳が東大医学部に保存されていて、夏目漱石や牧野富太郎、大平正芳。静岡大学では南方熊楠の脳も撮りました。

 一番うれしかったのは、子どもの頃から大ファンだった漫画家の赤塚不二夫さんに会えたこと。バンザイをするネコとして有名なペットの菊千代の撮影で伺ったのですが、とても気さくな方で、ストロボケースにサインとバカボンのパパのイラストを描いていただきました。赤塚さんは当時アルコール依存症で手が震えていたのですが、ペンを持つとピタッと震えが止まって丁寧に書いてくださったことをよく覚えています。

――ジオラマの撮影は、その頃から
得意だったのでしょうか?

大畑:アシスタント時代に人形を使った撮影現場に立ち会ったとき、雰囲気がとても良かったんです。人形作家、カメラマン、編集者がおのおのの仕事に全力で取り組んでいて「ああ、こういう場所で仕事したいな」と思いました。だから、人形の撮影を担当したときは、自然と楽しく一生懸命やっていたと思うんです。それが幼児雑誌の編集者さんや人形作家さんに通じたのか、指名していただく機会が増えていきました。

――50歳を過ぎて、
フリーランスになられた理由は?

大畑:できれば講談社を離れて独立したいとは、ずっと思っていました。21歳の頃に購入して以来、今でも読み返している『早崎治 広告写真術』(河出書房新社)という本の影響もあります。私の写真の教科書的な一冊で、「束縛されない精神の自由が大事」だとか、「カメラマンはフリーでなければダメ」、「自分でスタジオを持ちなさい」といった写真家の心得などが書いてある。そして、フリーになってみたら気持ちが晴れ晴れして、とっても心が軽くなりました。会社にいた頃は、自分は半人前だと感じていたけれど、ようやく一人前になれた気がしました。

サン=テグジュペリの世界観を
自身初の写真絵本に投影

――『モグーは郵便パイロット』は、
どのようにして生まれたのですか?

大畑:コロナ禍で仕事が減った際、「このままでは腕が鈍る一方だな」という危機感が高まったことから、好きなジオラマ写真を撮影してインスタグラムにアップすることにしました。以前から、自作の飛行機にシルバニアファミリーの人形を乗せた写真を、私的な年賀状や暑中見舞いに使っていたので、それをオリジナルのキャラクターに変えて紹介していこうと思ったんです。

 そこで、10年ほど前からおつき合いのある人形作家のまつもと俊介さんにお願いして、モグーを作っていただきました。

 物語は大好きなフランスの小説家、サン=テグジュペリの『星の王子さま』の世界観をモチーフにしています。私はどんなに大きな仕事でも1日以上かけることはないのですが、この作品では1カット撮るのに3日費やしたこともあります。

 写真絵本は自分の技術を磨く場でもあるので、納得できるまで撮り続けるようにしているんですよ。

――第4回「日本写真絵本大賞」に
応募されたきっかけは?

大畑:本当に偶然です。私のインスタをご覧になった大空出版の社員さんが「いいね」を押してくださって、それで知りました。

 どなたかは存じあげないのですが、大恩人ですよね。いずれは写真絵本にして出版できたらと思って、モグーのお話を作り始めたので、「毎日小学生新聞賞は自分にぴったりな賞だ」と感じました。

――モグーの物語は、
今後も続いていきますか?

大畑:はい。2冊、3冊と出せるように続編の撮影も絶賛進行中です。モグーにはこれからも世界中のいろんな場所を飛び回って、たくさんの出会いを伝えてもらおうと考えています。私は現在69歳になりましたが、この仕事は年を取ってもできると思っているので、モグーの写真絵本をできる限り作り続けたいですね。

文・菅原悦子 撮影・関 眞砂子

「大畑さんの写真は人形の表情が秀逸で、毎回期待以上に仕上げてくれます」と人形作家・まつもと俊介さん(右)も絶賛
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