現在使用している水中カメラのストロボコードは、
2020年に亡くなった盟友・岡本行夫さん(外交評論家)の形見
「魚にはありがたいという気持ちを込めて、
全部きれいにおいしく食べてあげること。
食べ残され、捨てられていくのが一番無念だと彼らは思っています」
3年前に中村家にやってきたリーフ君と。奥尻島で命を助けてくれた
ロック君への恩返しで、犬を飼うようになった
沖縄・慶良間諸島で撮影に成功したサンゴたちの喧嘩の跡の写真。
サンゴは攻撃する際、自分の触手を伸ばし、毒針で相手の組織を溶かす
©中村征夫
vol.4
水中写真家

中村征夫さん インタビュー

日本国内はもとより世界80カ国以上の海に潜り、
シャッターを切り続けること五十数年。
水中写真家の大重鎮にして、77歳を迎えた現在でも常に
トップギアで走り続ける中村征夫さんを海へとかき立てるものとは――。
中村征夫なかむら・いくお
1945年秋田県潟上市生まれ。19歳のときに神奈川県真鶴岬で独学で水中写真を始め、スタッフカメラマンを経て、31歳でフリーランスとなる。1977年初めて東京湾に潜り、ヘドロの海でたくましく生きる生物たちに感動。以降ライフワークとして取り組んでいる。数々の報道の現場も経験し、新聞やテレビのニュース番組でスクープをつかむなど、フォトジャーナリストとして活躍。出版物、テレビ、ラジオ、講演会とさまざまなメディアを通して、海の魅力や海をめぐる人々の営みを伝えている。主な受賞歴に「第13回木村伊兵衛写真賞」「第28回講談社出版文化賞写真賞」「第26回土門拳賞」「2007年度日本写真協会年度賞」など。

50年にわたり撮りためてきた
貴重な写真の数々を掲載

――2020年6月に写真絵本『サンゴと生きる』(大空出版)を出版されました。
最初にお話があったときは、どのように思われましたか?

中村:写真絵本には以前から興味を持っていたんですよ。いつもは大人の方たちに見ていただく写真集や写真展が多いのですが、ぜひ親子で一緒に見てほしいと思っていたので。
また小型の本というのは値段も手頃で、カバンに入れて気軽に持ち歩けるのもとてもいい。「これを読めばサンゴのことがいろいろ分かるよ」
という感じで、お友達にも見せてもらえたらうれしいですよね。あと、できればダイバーの皆さんにも目を通してもらいたいなと。ガイドさんの後について、きれいな魚の写真を撮るのもいいけれど、南の島の海に潜れば必ずサンゴがありますから。

――「サンゴ」をテーマに選ばれた理由を教えてください。

中村:サンゴの研究者や専門家の先生方は大勢いらっしゃって、かなり難しい論文や図鑑などは出されているけれども、一般向けの本は少ないですね。また乱開発などの環境汚染や気候変動によって、今後70~80年の間に「世界中の海からサンゴが消滅する」といわれています。そういった、現在直面している問題も伝えなければいけないと。
 幸いなことにフィルムの時代から、沖縄をはじめフィリピンやオーストラリアなどでも、サンゴの写真はいっぱい撮っておいたんです。白化して死んでいく写真などもあったので、うまく構成できる自信はありました。

――唯一「サンゴ同士が喧嘩をする」シーンは、
本書のために新たに撮影に行かれたそうですね。

中村:サンゴたちは、自身の中に住みついている植物プランクトンが光合成をして作り出す栄養をもらって生きていて、日光が当たる場所を確保するために争います。ところが、サンゴの喧嘩シーンを海中で実際に見たことがある人は、専門家でもほとんどいない。それくらい希少な場面だからこそ、どうしても紹介したかったんです。非常に手こずりましたが、沖縄・慶良間諸島で何日も潜って、ようやく撮ることができました。

小指の爪ほどの大きさの生物に
「生きる」ことを教えられて

――もともと海の生物が好きだったり、詳しかったのですか?

中村:実は24歳で初めて沖縄の海に潜ったときは、サンゴの上をガシガシ歩いて帰ったくらい、本当に無知でした(笑)。それから何十年も潜ることによって、サンゴの生態系や大切さが分かってきて。島に暮らす人々はサンゴのおかげで台風の大波から守られているし、植物プランクトンは小魚に食べられないように、サンゴの中に住んでいる。だから、サンゴたちが健康に生きていけるような水質を保たなければいけない。そういった環境問題にも徐々に目を向けるようになった。どこかにジャーナリスティックなものを撮りたいという気持ちが根強くあったんでしょうね。なので、死んでいるサンゴなんか誰も見向きもしないけれど、僕は大事なメッセージだと思って撮りますね。

――生き物たちに対する見方や思いなども変わりましたか?

中村:自然界の生き物は本当に天才だなと思いますね。学習スピードの速さにも驚かされますし、危機管理能力は半端じゃない。僕ら人間のことも危険な奴かどうか、すぐに見分けますからね。そうでないと自然界では生きていけない。弱い者は犠牲になり、強い者が生き残っていく、サバンナと一緒。小指の爪ほどの大きさの生き物から、「生きる」ってことを教えられていますよ。
 いろんな生き物に出会って、良いものも悪いものも、さまざまなドラマを見せてもらってきました。大変貴重な時間を、海によってもたらされてきたなと。だから僕が作るものというのは、誇張する必要はまったくなくて、見たこと、撮ってきたことをそのまま素直に出すだけでいい。生き物たちの代弁者にはなれないけれど、彼らから何かメッセージを送られているような気はしています。

津波から生き延びた命だから
やりたいことに挑戦し続ける

――今後は、どのようなスタンスで活動していかれるのでしょうか?

中村:今、未完成のテーマが3本ほどあって、その他にも新しいアイデアがパッと浮かんできたりするんです。その内容を同じカメラマンの息子に話すんだけど、どうも彼にはピンとこないようで。きっと僕の年齢にならないと分からないことなんだ、人は年相応にやりたいことが出てくるものなんだと。だから僕は死ぬ直前まで、最後まで諦めないで何かを撮っていると思います。しかし家族には「僕の棺の中にカメラや写真集などは一切入れないで」と、お願いしています。なぜかというと、あの世に行ったらまた新しいことを始めるから、過去を引きずりたくないんですよ。

――その飽くなき探究心やバイタリティーの源は?

中村:何度も潜っていると前回と今回、昔と今の変化が分かるじゃないですか。それに伴って「なんだこれは? どうしたんだろう?」という疑問も湧いてきますよね。その答えを求めて、また海に潜る。僕は今年で77歳になりましたが、気持ちは子どものまんま。頭の中は疑問符だらけで、常に好奇心旺盛。さらに人一倍、感動屋なんです。
 過去の体験ですが、1993年7月12日に奥尻島で「北海道南西沖地震」が起きたとき、僕は仕事で現地に滞在していました。30m超の津波に襲われて200人以上の犠牲者が出たけれど、僕は逃げ延びた。それにはちゃんと伏線があった。地震の2日前、民宿の近所の人に頼まれて犬の散歩をしていたことで、周辺の地理が分かっていたんです。ただカメラなどの商売道具は一式、流されてしまったし、罪もない多くの人の命を奪った海を憎んで、潔く仕事は辞めようと思いました。でも、自分が救われたのは何か意味があるに違いない。神様に「お前の命を助けてやるから、単なる海の写真じゃなくて、もっとやることがあるだろう? もう1回、自分を見直して挑めよ」と言われているような気がしました。それでレンズ1本、シュノーケル1個から買い直して、今もこうして写真の仕事を続けています。

文・菅原悦子 撮影・関 真砂子

2021年12月に東京大学・小柴ホールで開催された『サンゴと生きる』朗読会&トークショー。
ステージ左から司会・朗読の勝田麻吏江さん、中村さん、
ゲストの波利井佐紀さん(琉球大)、監修の茅根創さん(東京大)
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