大空出版の新規事業「大空グローバル・ワーク・プラス」は
インドネシアの人材を多くの日本企業にご紹介します
特定技能や高度人材を紹介する対象分野
介護、宿泊、外食、農業、漁業、食品加工、工業・建設、溶接、ビルクリーニングなど
登録支援機関としての機能もあります
出国サポート、オリエンテーション、到着時の送迎、入居対応、トラブル対応など
インドネシア語と日本語の両方を話すことができるスタッフが対応します。
インドネシアの送出し機関(LPK)と連携して優秀な人材を日本の企業に送り届けます。
大空出版は2000年4月、毎日新聞社の『サンデー毎日』、『アミューズ』、『PC倶楽部』などの雑誌やムック、KADOKAWAの『東京Walker』、『横浜Walker』などを取材・編集する制作会社としてスタートしました。同時にKADOKAWAの関連会社Walker Plusが運営するWebサイトや本田技研工業のHPデザイン、コンテンツ編集、サーバ構築なども行い、「メディア・ミックス」を合言葉に急成長しました。
一方で2005年、自社で発行した文庫本『まだある。』が話題を呼び、昭和ブームの火つけ役になりました。懐かしいけどまだある、といったキャッチコピーが昭和世代に受け入れられ、シリーズ22万部を突破するヒット作になりました。これによって東販、日販などの取次とも契約を交わすことができ、全国の書店に大空出版のオリジナルの書籍が並ぶ版元としての地位を築きました。
紙とデジタルの両輪で事業を進める中、済生会本部やリクルート、講談社などからもHP制作の依頼を受け、ますますWeb事業の業績が伸びるその一方で、デザイナー不足に頭を抱えていると、知人から「インドネシアには若いデザイナーやプログラマーが溢れている」と言われ2012年2月、初めてインドネシアのジャカルタやバンドンを視察しました。するとその助言通り、外資系IT企業に勤める多くのインドネシア人デザイナーやプログラマーの存在が確認できました。
帰国して間もなくWebデザイナーの求人を出したところへ、こともあろうにインドネシア人のデザイナーが履歴書を送ってきたので、すぐに彼を採用しました。大空出版初のインドネシア人社員のディッキーです。彼はバリ人ですがイスラム教徒でした。とても優しく、そして明るく、しかも理解力があってデザインの技術もどんどん身につけました。彼の奥さんは日本人で、彼が日本で働くことはまったく問題ありません。以来仕事だけでなく、彼と一緒にジャカルタ視察が繰り返されました。
2013年、ジャカルタにあるBINUS大学を訪れ日本語学科の授業を見学した時、40人以上の子どもたちが一つの教室に集まり、日本語だけで一生懸命会話している姿を目の当たりにして、なんとか彼らに協力したいのだがどうしたらよいか、担当の教師に聞いたところ「インターンシップをやってもらえないか」と言われました。
以来、大空出版でのインターンシップを希望する学生の中から2人の学生を東京に呼んで、Webデザインを学ぶインターンシップを始めました。ただ私たちの財力では、年に1回から2回、2週間程度2人の学生の旅費、宿泊費、食事代を捻出するのが精一杯。それを2年続けましたが、大学からは2週間程度では学生に単位を与えられないと言われました。
そこで2015年、ジャカルタに駐在員事務所を設置する計画を立て、物件を探し始めました。ジャカルタの中央、インドネシア最大級と言われるショッピングモール「グランド・インドネシア」のすぐそばにあるタワー型ビル「メナラBCA」の50階に事務所を構え、そこで2カ月から6カ月間のインターンシッププログラムを実施すると同時に求人を募集し、インドネシア人Webデザイナーの現地採用を始めました。
またインターンシッププログラムに大空出版の自主製作サイト「Japan View」の制作を取り入れ、インターン生たちがWebデザインを学ぶと同時に、記事の翻訳なども行い日本語を学ぶ機会にもなりました。「Japan View」は日本に留学して何を学ぶか、あるいはインドネシアで日本語を学べる場所は何処かなど、日本とインドネシアの交流サイトという位置づけで運営されています。日本の大学、専門学校、日本語学校、美術館、博物館、テーマパークなどの情報が記され、インドネシアの大学や送出し機関などの基礎情報なども知ることができます。
インターン生たちとの交流が活発になり、さらに現地採用した若いWebデザイナーたちと仕事をしながら感じたのは、みんな真面目であるということ、日本のアニメやファッションなどのポップカルチャーが好きだということです。また将来は日本で働きたいと思っている人が多いことにも驚きました。彼らは子どものころからテレビやSNSで日本のアニメを見て育ちます。もちろんゲームも大好きで、そこには日本の作品が多く存在します。そのため日本の歴史や文化をアニメなどから自然に学び、基礎的な単語や語学力まで身につける人もいます。
日本語に興味のある日本語学科の生徒たちはことさら積極的に私たちに話しかけ、考え方を知ろうとする意欲にあふれているので、仕事もスピード感を持って覚えていきます。
2016年以降はBINUS大学だけでなく、ダルマプルサダ大学、ナショナル大学、アルアズハル大学などとも順次インターンシップ契約を結んで、現在までに100人以上の学生たちにインターンシップを施してきました。
2020年にジャカルタオフィスをスディルマン通りのプラザ・セントラル・アネックスビルに移し、約10人の現地スタッフを抱えるまでに成長しましたが、そのうち4人は学生時代に私たちのインターンシップを受けた学生で、大学卒業後に入社した社員です。明るく優しく、コミュニケーション能力にもたけており、日本人の同僚とお互いに冗談を言い合える仲間たちです。宗教は違っても人間的に暖かく、寛容な性格の持ち主たちです。
インドネシアは8割がイスラム教徒と言われていますが、ヒンズー教徒、キリスト教徒など様々な宗教が存在し、異教徒同士が結婚する例も少なくありません。この寛容さはインドネシアが1万以上の島からなり立ち、異なった民族が交流してきた歴史を持っているからだと思われます。またオランダの植民地時代が長く続いたことも一因と言えるかもしれません。そのオランダからの独立を後押ししたのが戦後インドネシアにとどまった日本兵たちということもあって、親日の人たちが今でも多く存在します。若者たちが日本文化に憧れるのも、そうした歴史的背景があります。
インドネシアの若い人たちが日本に憧れてくれていることを知れば知るほど、彼らを応援したいという思いが強くなりました。そこで2018年から現地採用したWebデザイナーたちを東京に呼び寄せ、最低1年間は東京オフィスのスタッフたちとともに仕事をしてもらうようにしました。会社がアパートを借り、日本の生活に親しんでもらえるよう環境を整えました。この異動は私たちにとっても実験的な意味がありました。インドネシアの若者が日本の生活環境や職場にどこまで馴染むことができるのか。2020年3月までに3人の現地採用したWebデザイナーを異動させ、何の問題もなく生活することができました。また22年8月には4人目のディマス君、23年9月には5人目のアブディラ君が東京に異動しています。
この実験からインドネシアの若者がスムーズに、違和感なく日本の環境に馴染むことができるという確証を得ました。そこで2020年1月、登録支援機関としての登録を完了。これによって日本で働くインドネシア人材のフォローが可能になりました。つまりインドネシア人が働いている企業やその居住環境内でのトラブルを防ぎ、安心して働くことができる環境作りのお手伝いを始めようと考えました。
しかしその矢先、新型コロナウイルスの世界的な流行により私たちの活動はストップせざるをえませんでした
そして2023年、コロナの感染が落ち着くと同時に歩みを進め、10月に有料職業紹介事業許可証を取得し、さらにインドネシアの送出し機関と契約を結び、いよいよインドネシア人材を日本企業へ紹介できるところまで準備が整いました。